怒られたり、たしなめられたり、しなくなったな、大人になって。自分が怒られるようなことをしなくなったというわけでは決してない。周りが、もう自分のことは自分で何とかしてください、って距離をとるのだろう。自分に厳しい人でないと、他人に厳しできないものね。でないと、説得力も効果もないし。

大人のいじめみたいのはあるのに、ちゃんと厳しい大人って、自分も含めてあんまいないんじゃなーい。

そんなところへ、ヘチマコロンのおまけについてたミニカレンダーに使われてる古いポスターが私をたしなめてくれました。


「御存知ですか?生肌のおてあてが充分でないと、どの様な御化粧もいたにつかず、折角の御苦心も酬ひられません。眞賓の美しさは生肌の美を放れては絶対にないことをしるのは御化粧法の第一課です。」
「美しくなりすぎるのがお嫌ひでなかつたら毎日もつとみつちりコロンをお使ひになることです」
「この陽光(ひざし)から/この暑さから/コロンだけが育(な)す/快適の美容(まもり)/素肌美萬歳」
「ほっておいても美しくなれるものならともかく−強い陽光と汚塵や汗脂の総攻撃ですよ/素肌の保健にお化粧の安定にコロンなしではどうにも始末のつけやうがないではありませんか」
「先づ生肌の調整−満點の化粧効果/折角良い白粉やクリームをお使ひになつても、生肌がととのつていなければ白粉のツキもノビも悪く決して見事な化粧には出来ません。」
「そのお肌の若々しさ/お化粧栄えのよさこそ/ただヘチマコロンによる自然美の完成/おお近代人の歓喜!!」


やっぱりこう「すみません」って言いたくなるような怒り気味の文章のほうがぐっときますね。怒られたいのか。